『記憶のスイッチ』

 

以前、このメルマガ

すこしだけ、ほんの少しだけ

 

 

 

の中では、どんなレッスンだったのか。

 

それは、ほんのすこしだけ、

 

1)あごをあげて走る、のと

2)あごをひいて走る、のと

 

これを比べてみて走ってみるものでした。

 

ここで私はものすごい体験をしました。

 

なんと、1)の「あごをあげて走る」をしばらくしていると、

なんと、過去の辛かった体験がフラッシュバックのように押し寄せてきたのです。

 

私は、小学校の6年間、リトルリーグ(硬式少年野球)に通っていました。

とても強いチームで、自分の何歳か上の代は、世界大会まで出場するほど。

 

一方で、練習はとてつもなくハードで、

当時は、(いまでは禁止されている)「兎跳び」「水を飲ませない」「ケツバット」などが横行し、

河川敷を真っ暗になるまで走り込みをし、

当時、ピッチャーだった私も、尋常ではない数の投げ込み練習を強いられました。

 

私の肘と肩は、もうボロボロ。

練習の日の晩から数日間は、肘がジンジンと鈍痛が続き、ほどんと眠れなかったのです。

 

そして、

とある日曜日の朝、これまで我慢はしていたものの、

どうしても練習にいきたくなかった私は、「休みたい」と親に伝えました。

でも、悔しくて、悲しくて、辛くて、、、、

 

そのときです。

いまでも忘れません。

 

靴紐を結び終わったそのスパイクのつま先に、

溢れ出てしまった自分の涙が「ポタリ」と落ちる瞬間の映像を。

 

1)の「あごをあげて走る」と、

自動的にあの嫌な体験の映像が押し寄せてきて、

最後の「ポタリ」と涙で締めくくるのです。

 

 

一方、2)の「あごをひいて走る」ときは、

ごくごく最近の映像が浮かびます。

 

去年から今年にかけて、

淡々とランニングの自主練をしているときの地面が流れる映像や、

3月の南房総みちくさウルトラマラソンや深夜を歩きとおした佐久市強歩大会のときの

黙々と歩みをすすめてるときの地面の流れる映像と。

 

いずれにしても、「頑張っている情景」

「耐え忍びながらも、最後は達成している!」という映像。

 

なので、2)の「あごをひいて走る」ときは、

心のそこから湧きあがる勇気と自信、を感じることができるのです。

 

この発見は大きなものでした。

 

今回の横浜マラソンはかなり苦戦をしました。

17キロあたりで私を襲った「太ももの攣り」(を予感させる違和感)。

もう、そのあとは、だまし、だまし、ストレッチしたり、

歩いたり、走ったり。。。。と。

 

でも、やはり、あごがあがっているときは、

明らかに弱気になってしまっていました。

 

いかん、いかん、と慌てて、あごをひくことで、

地道に、黙々と積み重ねてきた自信を取り戻すことができたのです。

 

なんとも不思議ですよね。

でも、実際にあった話です。

 

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