『宿題、終わったの??』

 

「宿題、終わったの??」

「本、読んだの???」

 

いま、全国の各家庭で、

こんな詰問が飛び交っていそうです。

 

でも、子供たちからすると、

こんな風に聞こえています。

 

「宿題、終わったの??(どうせ終わってなんでしょ?あなたは、いつもそうなんだから)」

「本、読んだの???(読む気がないでしょ!何度言わせるのよ!)」

 

不信の気持ちから発する言葉は、

残念ながら、どれも、これも、

「詰問」となって相手に伝わっていることでしょう。

 

ちょっと、工夫をしてみると、

まったく違う形で伝わるはず。

 

過去のメルマガをご参考に!

よい週末を(笑)

 

信頼を前提とした言葉の選び方

 

信じる力

 

 

今日もきっと・・・I・W・D!

『死ぬまで、一生』

 

いきいき、わくわくとした職場を創っていこう!

 

こうしたスローガンのもと、職場活性化活動などをしていると、

はじめはいいのですが、途中から、よくこんな声がでてきます。

 

「本業が忙しくって、この活動が後回しになってしまうんです」…と。

 

これは典型的な言い訳です。

 

そもそも、この活動を、自分の業務と別物として扱っている方がいるならば、

その視点を変えた方がいいでしょう。業務そのものなのですから。

 

そして、極めつけが、こんな問いです。

 

「そもそも、この活動、いつまでやるんですか?」と。

 

その問いには、こうお答えしています。

 

『死ぬまで、一生です! 笑』

 

この回答には、

たいていの質問者は、目を丸くして、びっくりされるのですが、

このメルマガを読んでいる方は、もう、お分かりですよね?

 

そもそも、「いきいき、わくわく」と働くということは、

スタンスの話でもあり、大げさでもなんでもなく<生き方>であるわけで、

いつになったら終わるんですか?というレベルの話ではないのです。

 

いきいきとした人生。

わくわくとした人生。

 

もひとつおまけに

 

どっきどきな人生。(笑)

 

その生き方を選択していく、探求していく旅。

探求には、達成はありません。

登りつづける、極め続ける旅路だと考えた方がいいでしょう。

 

そういう視点で、この質問をもう一回、見てください。

 

「そもそも、この活動、いつまでやるんですか?」

 

…死ぬまで、一生です!!

 

でしょ?

でしょ?

でしょうーー??笑

 

いきいき、わくわく、どっきどきは、生き方なんですから。

 

今日もきっと・・・I・W・D!

 

 『高低差をつくる』

水は高いところから、低いところに流れていく。

それは、自然の摂理。

 

それと同じように、

人と人が集まったとき、人と人との間で、

知識や情報、エネルギーなどの <なにかしら> が

高いところから、低いところに流れます。

 

人と人との間に、まだ、この高低差があるときは、

<なにかしら> が流れていますから健全です。

 

しかし、その高低差がなくなると、一気に、流れがなくなります。

<なにかしら>が、とどまり、にごり、よどみます。

 

よどんでいる会議、って、ありませんか?

よどんでいる組織、って、ありませんか??

 

いつも同じ人、同じレベルの面子で、

同じような話をしていると、たちまちよどむわけです。

 

だって、流れるものがないんですから。

動くものがないんですから。

 

だから、リーダーは、あらゆる場面で

この高低差があるかどうかを観察し、

この高低差を意図的に作っていかないといけません。

 

...意図的に議論のテーマを変える。

...いつもと違うやり方にする。

...いつもと違う面子での組み合わせにする。

 

いずれにしても、その瞬間に、高低差が発生するように進めていくのです。

 

そして、高低差を、<毎回、同じ人が高い>とか、<同じ人が低い>とか、

固定席にならないように配慮することもさらに重要です。

 

いつも<高い>で固定になると、流す一方で、他人から学ぶ機会がありません。

そして、勝手に、<〇〇の専門家>とか、<先生>にしあげてしまいます。

そして、そうなってしまうと本人もなかなか<本当はわかっていない自分>を出しにくくなってしまいます。

 

一方、いつも<低い>で固定になってしまうと、<受け身>になりますし、

<教えてもらうことが同然>というスタンスになりますし、

<自分の知識を誰か他の人にわかりやすく伝える技術>が、いつになっても身に付きません。

 

とにかく、誰でも高い人となり、智慧の水の源流になる。

誰でも、低い人となり、智慧の水を飲む学習者となる。

いずれにしても、学習のリテラシーを向上させていくことが重要です。

そうした動きや変化があることを是とする組織は強いのです。

 

あなたの組織は、どうですか?

そして、あなた自身は、いかがでうか?

 

同じ面子と、同じ取り巻きで、同じような話で、安心していたりしませんか?

最近は、<〇〇の専門家>としての地位を獲得してしまい、長いこと安住してはいませんか?

 

<はっきりいって、よどんでいますよ。あなたの周りだけ...>

 

なーーーんて、いわれないように、

チェックしましょうね。ドキっ!!

 

今日もきっと・・・I・W・D!

 

『不連続なギアチェンジ』

 

ある活動を数年していると、

自分たちで、成功の法則がうまれたり、

失敗に陥らないようにするためのコツがわかったりします。

 

これ自体は素晴らしいことです。

 

しかし、それは同時に

自分たちで自己成長に制約や制限をかける瞬間でもあります。

 

 

「このままでは人数が足りないから、人を育てないとね…。」

「いままで一人で二か所だったけど、三か所担当することで…なんとかしてみようか…。」

「いずれにしても、そんなに急にはできないから、できて年内で5か所だね…。」

 

 

などなど。

よくある、未来のつくり方です。

 

 

たしかに連続的な成長を前提としたときは、その考え方も「あり」です。

「昨年までの傾向はこうだったから、今年は110%でいこう!」、

というような未来の決め方です。

 

 

しかし、そこには、自らの能力や思考を是としてしまい、

自らのこれからのイノベーションは勘案していません。

 

もし、これが恒常化してくると、こんな思考が頭を占拠してきます。

 

「なかなかこれをできる人材がいないので難しいんです…」とか。

「一人で何か所もみるのは、品質を落とさせるので難しいです…」とか。

「やはりきちんとやるためには、時間がかかります…」とか。

 

そして、

「経営陣は、あまりこの現実を知らないから、そんな要求をしてくるんですよ」…と言った

自己正当化の感覚がもたげてきたら、そろそろ、自問自答したほうがいいでしょう。

 

 

本当に、これからの方策はそれでいいのか??

 

本当に、本当に、それでいいのか??

 

 

と。

 

 

そして、他人からされると頭にくるかもしれない問いを、

自分たちで自分たちに問うのです。

 

 

「メンバーの追加はなし!だとしたら?」

「いまの5倍の数をやるとしたら!?」

「いまの納期の半分でやってみるには?」

「そもそも、経営のプロたちが乗り込んできたら、何をすると思う??」

 

 

こうした途方もないリクエストをしてみるのです。

 

 

すると、一瞬、「無理だ!」とか、

「そんなことはありえない!!」と頭にテロップが流れるのですが、

それをひとまず脇に置き、考え続けると、面白い感覚が生まれるはずです。

 

 

先ほどまで大切にしていた視点が、単なるこだわりであったり、

自己正当化であったことに気付くのです。

 

 

いずれにしても、自分たちの枠を自分たちでぶち壊す...いいチャンス!!

 

 

経済学者のシュンペーターは、

「馬車をどんなに改良しても鉄道は生まれない」といいました。

こうした非連続のギアチェンジをたまに自分たちに課していかないと、

大きな波としての連続した成長は途絶えてしまいますから。

 

 

みなさんはいかがですか??

今日もきっと・・・I・W・D!

『仕返しに使ってはいけないもの』

 

<嫉妬、コンプレックス、怒り…>を、

うまく扱えないリーダーの組織は早晩、おかしくなります。

 

特に中小企業の場合、

経営者の言動がダイレクトに社員や企業風土に影響するため、

間違いなく事が深刻になります。

 

ここ20年、

さまざまな場面をみてきて思うこと。

 

それは…

 

 

その手の経営者やリーダーは、採用や人事評価、人事登用の場面で露骨に

(嫉妬、コンプレックス、怒り…を解消するために本人だけは無意識に)

問題行動を取ってしまう、ということ。

 

例えば、

 

自分にとって使い勝手の良い者(成果をあげる、情報をあげる、YESマン…)は寵愛し、

側近に置くものの、その成果が想像以上に大きくなってくると、

手のひらを返したように潰しにかかる。

自分の立ち位置を危うくする存在として叩きにかかる。

 

 

いわゆる嫉妬。

…怖いですよねぇ…。

 

 

ですぎた杭は叩かれるわけです。

そして、「極々、小さなミスでも処罰対象として扱い、降格させる」…

というありえない人事がおこなわれたりもします。

 

また、経営者に学歴コンプレックスがあった場合、こんなこともよく起こります。

採用の際に、自分の学歴以上の大学出身者を採ることに、異常なほど執着する。

それは、あたかも自分が成し遂げられなかったことを、

<学歴の高い社員を、経営者として雇う>という優越感で補完するかのごとく。

ただし、多くの場合、学歴のみで採用しても実際には使い物にならず、…結局クビにする。

 

 

…怖いですよねぇ…。

コンプレックスを仕返しに使ってはいけません!!

 

 

そういうことが繰り返されることによって、

上ばかりをみるヒラメ社員やYESマンだけが周りに残り、

結果的にはまったく自分たちで考えることのない脳内停止幹部だけになる。

 

 

そして、その状態は経営者、自らが蒔いた種にも関わらず、

 

「まったく、お前たちは頼りにならない…ほれみたことか!

 俺がいないとお前らでは解決できないだろう!!」、と。

 

 

でも、それはいわゆる「自作自演」の「マッチポンプ」。

引退しない理由を巧妙に他責にしながら、存在証明をしている経営者。

 

 

もう、末期症状です。

 

<人事という最もパワフルな武器を、扱い方の未熟な子供が手にして、

 ブンブン振り回してしまっているようなもの>

 

で、危険、極まりない。

会社が崩壊していくのは、時間の問題です。

 

だからこそ、経営者やリーダーは早いうちから、

<嫉妬、コンプレックス、怒り…>と、

うまくおつきあいができるようにしたほうがいいわけです。

 

少しでもドキッとした方。

手遅れにならないうちに!

 

今日もきっと・・・I・W・D!