週末は、
その一週間に行ったお仕事の振り返り。
コンテンツはどうだったのか?
クライアントが得たことは?
そこで自分が得たことは?
足りないとことは?
今後レベルをどうやってあげていく?
一連の振り返りを10年日記にまとめ、
そのあと「感謝状(請求書)」を作成します。
※弊社では、「請求書」のことを、「感謝状」と呼んでいます。
したがって、「売上高」ではなく、「感謝高」と呼んでいます。
書面を作成し、会社印を押し、
心を落ち着かせながら、企業名、担当者名を筆ペンで手書きし、切手を貼る。
その封筒をもって、近所のポストに行く間の3分間は、
この封筒に書かれた企業のプロジェクトに関わった先方事務局の方々の顔を浮かべ、
また、こちらサイドで協力してくれたパートナーたちの顔を浮かべ、
それぞれの皆さんに
「ありがとうございました」
と小さくつぶやきながら、頭を下げ、郵便ポストに投函します。
これは、独立してから7年経ちますが、
どんなに忙しくなっても、いまだ誰にも譲れない、
いや…譲る気もしないワークフロー。
初心を絶対に忘れないようにするための僕なりの儀式です。
あなたの儀式はどんなものがありますか?
今日もきっと・・・I・W・D!
よく「隣の芝生は青くみえる」とはいいますが、
青い鳥を探して、いろいろなところにふらふらと…
活動はしているのですが、ブレている人
そして、流れ流され、根無し草になっている人、、、よく見かけます。
たとえば、
職に就くが、
自分にはあわない。
もっといい職場や仕事があるはず、
と転職を繰り返す人。
いろいろなセミナーを受けまくってはいるが、
なにも身についてもいないし、行動に移せていない。
そして、周りからも評価されていない人。
はじめは、あの人はいいと思ったのに、
こんな酷い人とは思わなかった。
ああ、この世に、いい人なんていないのかしら...と
なかなか落ち着かない人。
この人たちに一致しているのは、なにか?
それは、「自己認知力のなさ」です。
自分の中にあるものを、つぶさに観察し、
きちんと査定ができている人は、こうはならないのですが、
たいていは、
まったく自分にないものを、異常に高く見積ったり、
他人のGIFTを羨ましがったりします。
そもそも、
種がないところに、水を撒いても芽はでません。
他人の芽や枝や花をみて、羨んでも、
あなたは、違う種なのですから、
「なぜ、自分はあの人のようなあの花が咲かないの!!」と怒り狂われても困るのです。
無いものは、無いんだから!
そして、
自己認知力のない人の共通点は、
人からのフィードバックに、著しく抵抗します。
激しく怒り、他人を批判します。
「まったく、誰も、
俺(私)のことを見ていないし、わかっていない!」と。
でも、私が見る限り、この手の方のほとんどが、
「自分を見ていないのは “”あなた” 」だし、
「しかも、周りの人はわかっているけど、
“”あなた” だけが、わかってない」のです。
彼ら、彼女たちに何回も伝えているのですが、
なかなか、残念なほど伝わらないのが、
「青い鳥を探しても…見つからないよ。
だって、実は、かなり身近にあったりもするから
そう、それは、あなたの中に…」
ということ。
でも、彼ら、彼女たちは、
いまも探しにでていくんですよね。
ずっと、この先も。
今日もきっと・・・I・W・D!
参考メルマガ*****
因みに、私のGIFTの探求したプロセスは、このメルマガで紹介しています。
『一級振付師』
*****
先日のメルマガ
への返信も数多くいただきました。
今日はその中でのやりとりです。
※一部、マスキングをしています。ご了承ください。
***ここから
おはようございます。
メルマガ読者のAです。
今回のメルマガを読んで、
今までの自分は、コントローラブルな所ばかりに傾注してしまい、
安易に走ってしまっていたのかな?と思いました。
全てコントローラブルと考えると苦しいです。
しかし、そうしないと自分で限界を定めた状態になる。
(自分にはフルマラソンは走れない。とか言った様な…)
自分の今の実力ではコントローラブルではない部分がある。
非常に歯痒い思いをする。
自分の未熟を実感する。
イヤになる。。。
しかし、そこで、
自分を否定しない。
今、出来ない自分を否定しない。
将来を可能性を信じる。
そういうことかなと。
まとまらない散文で失礼しました。
***
Aさん、
ありがとうございます。
私からは、
こんなお返事をさせていただきました。
***(返信、原文そのまま)
そうなんです。
あまり、根詰めて考えてしまうと逆効果ですよね。
※だって、事実、天気は思い通りにできるわけないですし。
世界の景況も、コントロールできるようになるには、
もっと、世界的なリーダーにならないと、です。
なので、こんな感じです。
「すべてがコントロールできるとするならば…」
そのくらいで考える癖がつくといいかもです。
実際に、ウルトラマラソンにしても、
いきなりは達成(コントロール)はできません。
はじめは、そんな夢も描きませんでした。
だって、はじめは、200mで、ヒーハー、な私だったから(笑)
でも、コツコツとやると、
500m走れたし、
1kmになり、5kmになり、、、、
そして、いずれハーフ、そしてフル、、、と。
で、いま思うと、
1kmは、完全にコントロール可能領域です。完全に。
でも、いきなりは難しい。
ここなんです。
ウルトラをみて、「絶対無理!」という反応は、当たり前。
でも、もう、そこで、思考停止して、
「(コントロール)できない!」案件に仕分けしちゃったら、
もう、そこで、物語は終了です。
…実はこうして仕訳けされちゃって、眠っている案件がいくつもあるのですよね。
私は、2~3年に一回、苦手意識克服キャンペーンをしていますが、
勝手に脳みそが「それって、不得意だよ、自分。やめとけ!」って判断しちゃったやつなんです。
ウルトラをみて、「絶対無理!」ではなく、
「なんとかしたら、できるようになるかも??」という形で、
ゆるーく思考の幅を広げておく、ことが重要です。
あとは、脳みそをうまく騙すこと(笑)
ミリ単位で成長させて、
「できた!」を連続で脳みそに打ちつけると脳内物質ドバドバでますので、
脳みそが勘違いするんです。
「あれ?おれって、できるかも!」って(笑)
そこのバランスが必要ですよね。
できる人と、できない人の違いは、
「脳みその特徴を知っていて、脳みそをうまく騙せる人」と、
「脳みその特徴を知らないで、まんまと脳みその判断に従ってしまう人」
の違いなだけかな、、、、と。
そんな風に思います。
***(ここまで)
脳みそは、
大きな違い(大きな変化や大きな目標)には、びっくりして、抵抗をしめすのですが、
ちっちゃい変化には、わからないんです。
なので、そういう特徴をいかして、
ちっちゃく、ちっちゃく、変化させて、いって、
あれ?
結構、登ってきたじゃん!おれ!!!
としていくのが、定石です。
お試しあれ――
参考文献:
今日もきっと・・・I・W・D!
よかれと思って、
部下にあれこれ、と教える上司や先輩。
「教えること」自体は問題ありません
でも、その「教え方」がまずい!
という方がいらっしゃいます。
そもそも、教えるプロセスで
ついつい、よかれとおもって、
自分の知識のあれこれと
100も1000も、10000も。
一気に、同時に、相手に投げつけて、
「どうだ!!!!」
披露しちゃっている上司や先輩がいますが、
それはそれで、
「すごいですねーーー」
なのですが
そのことで、部下や後輩の顔、
見てください。
どんどん、自信を失ってはいませんか?
「ぼく、そんなにできませんから。」
「やはり、先輩はすごいですよね。」
あれあれ...やっちまいましたね?(笑)
その言葉を部下や後輩に発しさせて、
悦に入っている場合じゃありませんよ。
あなたが、
ヒーロー/ヒロインになってどうすんの?!
あなたが、凄いことはわかります。
でも、あなたが主人公になってどうすんの?!
そもそもあなたの仕事は、部下育成。
部下や後輩に、
「自分にもできそう」
と部下に思わせる「絶妙なステップ」を設定できる上司や先輩が
真の育て上手といえるのです。
こうした育て上手の上司や先輩の手にかかると、
はじめは、
「できません、私にはムリです…」
だったとしても、
「ん?あれ?できちゃった」
「お?私にも、できるかも?」
「あ、やっぱりできちゃった!」
「はい!できますよ。きっと!!」
「お任せください!やり遂げてみせます!!!」
この階段を「自力」で登ったか、のような
本人に錯覚をさせるのが、この人たちの凄いところ。
さらには、
決して、その凄さをひけらかすこともなく。
忘れてはいけません。
「部下や後輩が主人公」であるということを。
何度もいいますが、
「あんた(上司や先輩)が主人公でない!」ってこと。
あなたは、
「俺(わたし)って、すごいでしょ!?」
と、存在証明をしている場合ではないのです。
気をつけましょう。
どきっ!
今日もきっと・・・I・W・D!
※参考図書
ちょっちょ古いのですが、当時読んでドキッとした本たちです
昨日のメルマガ
に、こんなお便りをいただきました。
***内容を一部マスキングしています***
中島さん
これです。
自分にないし、チャレンジもしていないような気がします。
与えられた環境で、ルールに従って、勝負しているように思います。
ルールを変えようとは考えません。
まぁ、〇〇部門にいると、独自のルールは通じないのですが、
何か咀嚼の仕方はあるかもしれません。
***ここまで
昨日紹介した、一倉定さんの言葉
『電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である』
この言葉によって、私は、
雷に打たれたような気がして、、、、
そこからです。
LDP(リーダーシップ開発プログラム)の一番最初に扱う、
「あなたは作家。
あなたの目の前の部下たちの状態や部門の業績は、作品」
というくだりが生まれました。
通常は、
「コントロ―ラブル(コントロール可能)か?」
「アンコントローラブル(コントロール不可能)か?」
にわけて、
コーチは、
「クライアントのアンコントローラブルな領域は扱わない」
というのがコーチングの基本なのですが、
社長に限っては、もしくは、
この世の中を変えていくであろうリーダーに対しては
いや、近年は、多くのリーダーたちもが
「すべてが コントロ―ラブル 」
というスタンスで
目の前の出来事を考えていくようにしたほうがいいと思うのです。
コントロ―ラブル?
アンコントローラブル??
と切り分けてしまうと、
安易に、コントロール不可能な領域に自分で仕分けしてしまって、
思考停止になりかねませんし、、、。
そもそも、いま、目の前にあるルールやスタンダードも
誰かが生み出したものであって、
その時、その環境下でコントロールしようとおもったから生まれた、わけですから。
もちろん、なんでもかんでも、
無理に変える必要もないのですが、
私たちは、常に、
『すべてが コントロ―ラブル だとしたら、なにができるだろう?』
『それって、本当にアンコントローラブルなのか?』
それは、
問い続けていきたいところですよね。
今日もきっと・・・I・W・D!